ソフトローの発展と法曹教育?

思った程注目を浴びていないような気もする、東証の上場制度整備懇談会が公表した「安心して投資できる市場環境の整備について」ですが、今後の上場会社の資金調達に与える影響は相当に大きいものがあり、この報告書の内容や、それを元に今後整備されて行くであろうルールを正確に理解して、適切に運用することは実務法曹としては必須になっていくんではないかと思います。

その辺りの解説を期待されている向きもあるかも知れませんが、今日の思いつきはそこではなく、こういう法令以外のルールの要因、ここではソフトローと大雑把に言ってしまいますが、そういうソフトロー的な要素が重要になっていくと、法曹教育も難しいだろうなという辺りです。

まあ、会社法の世界については、昔も証券業協会の第三者割当増資ルールで定められた10%ディスカウントルール辺りは、裁判例で引用されたこともあって、有利発行性の一つの基準として司法試験の答案でも書いたりしたものですが、その頃からするとソフトローの存在感は比べものにならないぐらい大きくなりつつあります。

典型的なのは買収防衛策やMBOの分野における企業価値研究会の報告書なんかですが、その位置付けは何なのかということについて必ずしも明確でないとしても、現に裁判所の判断においても正面から参照されたりする時代になってきているわけです*1

昨年の成蹊大学LSで担当させてもらった授業なんかは、M&A法ということで、会社法に限らず税法とか独禁法も触るぐらいだったので、そうしたソフトローも時間をある程度使って説明することもできたんですが、ただでさえ教える内容が多い正規の会社法の授業の中に、こうしたソフトローを組み込んでいくのは大変な気もします。

また、問題なのは「ソフト」なだけに、ハードローのように要件・効果が明確でないこと*2や、そもそもその内容自体が実務の現場における双方向的なフィードバックで形成されていく面があるので*3、何か「知識の伝達」という形になじみにくいところがあるような気もします。

こうしたソフトローが強くなっていく世界で求められる法曹の能力というのは、与えられた知識を組み合わせるだけでなく、ソフトローの背後にある制度趣旨や合理性を理解した上で、それを議論とか対話というコミュニケーションを使って双方向的にルールとかスタンダード自体をファイン・チューニングしていく能力ではないかという気がします・・・と、ここまで考えて、これって、まさにコモン・ロー*4的なセンスでだなということで、世界的にソフトロー的な枠組みが拡大していく中で英米法律家のプレゼンスが大きくなっていくのは、ある意味必然なのかなとか脱線的に思ってしまいました。

最近、磯崎さんがIFRSについて興味深い考察をされていますが、私自身はIFRSについては語れるほどの材料を持っていないものの*5、そこでの問題意識である(と、私が勝手に考えている)「自分で考えなさいとか、投資家との適切なコミュニケーションツールとして会計を用いなさいという発想が、日本の企業に馴染むの?そもそも、日本の経営者は(よしあしではなく)そうしたスキルを蓄積してきていないんではないの?」というところは、法律の世界におけるソフトロー化と法曹教育のあり方と通ずるものがあるような気がしています。

もちろん、私がおつきあいをさせて頂いているロースクールの先生方の多くは、単なる知識の伝授ではなく、考える力を要請することを考えていらっしゃるわけで、そうした先生方からすれば、「また、余計な心配を」と思われるのかも知れませんが、何となく思いついてしまったので*6

一応、最後に補足しておくと、そうは言っても私自身はソフトロー化とか、ルールのインタラクティブ化とか、コミュニケーションツール化ということについては、とっても肯定的です。
ただ、肯定的なだけに、それがうまく根付くためには、これまたえらい人(東証?)が右向け右といったら済む問題ではなく、そもそも、制度を支えている一人一人の意識の方向というところまで遡らないといけないんじゃないのかなぁ、と、いう問題意識を持っているということで。

*1:記憶に新しいところでは、レックスHDの取得価格決定事件における田原最高裁判所裁判官の補足意見がありますよね

*2:そういう意味では、要件事実論を基礎とした伝統的な実務法曹教育とソフトローの相性の問題も考えてもいいのかも知れませんね

*3:買収防衛やMBOも指針を下に、一定の実務が積み重ねられて、その実務を下にしてまた指針が解釈されていく面がありますよね

*4:英米法に特徴的な個別事案における過去の判例を集積して目の前の事案を解決していく仕組み・・・と勝手にまとめてみる

*5:しかし、実はIFRSについて、ちょっとした原稿を書かなくてはいけなかったりします・・・(- -;

*6:そして、忙しいときこそ、何かこうしたちょっとした思いつきをブログに書くという誘惑に誘われるわけです