慎泰俊『働きながら、社会を変える。』

「備忘録」と名付けたブログ自体、危うく忘れそうになってしまうぐらいの久方のブログ更新です。
すっかり半年に一度の更新ペースになりつつあるのですが、それもこれも今年は忙しかったから・・・などという言い訳を用意していた自分の頭をガツンと殴られたようなショックを感じたのが、二人の友人が時期を同じくして送ってくれた新著でした。

まずは、先に届いた慎泰俊さんのこちらです。

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

慎さんとは、私がニューヨークでブログを書いている頃に、お互いのブログを通じて知り合いました。
それがいつぐらいなのかとふと思って慎さんのブログ調べてみると・・・どうも2005年9月のHurricane Katrinaに関する考察の辺りのようです。
そうすると、それからもう6年が経つということになります。いや、まだ6年しか経っていないと言うべきかも知れません。
6年前は独学でMBA進学を志しながら、たくさんの知識を吸収し、それをブログでアウトプットし続ける一人の青年でした。
その彼が、たった6年間の間にMBAを修め、外資系金融機関で金融モデルを組み立てる専門性を身につけ、更にPEファンドに転身し、(まだ直接一緒に仕事したことはありませんが)同じフィールドで働くようになり・・・たった6年の間に、彼はビジネス・パーソンとして、自分の目指した道をものすごいスピードで進んできています。そのことだけでも凄いことなのに、彼はビジネス・パーソンとしてのキャリア以外の自分の可能性の追及も怠らず、それをLiving in Peace(LIP)という形で実現させてきました。
前書きで彼はこう言っています。

 僕は、世の中がよくなるためには経済がよくなる必要があると信じている。だから、企業の成長をサポートするこの仕事(筆者注:PEファンド)には大きな意味があると考えているし、もっといろいろなことができるようになるためには、早くこの業界における一流のプロフェッショナルになりたいと思っている。

 でも、この「本業」だけが僕の人生のすべてなのか、というとそうでもない。世の中には本業を通じて解決できる問題もあるけれど、本業では直接的な対象としていない問題もある。たとえば、教育問題や貧困問題などは、僕の本業の主な守備範囲には入らない。・・・
 自分が取り組むべき課題を一つに絞ることは重要だと多くの人がいう。そうかもしれない。けれど、本当に人は一つの課題だけに取り組むべきなのだろうか。たとえば、「仕事と子育ては両立できない」と言って、仕事をする人は子育てをなおざりにしてよいのだろうか。
 目の前にたくさんある課題について、たった一つに取り組む、と言わずに、きちんと優先順位をつけてそれぞれの課題に自分の24時間を割けばよいのではなかろうか。

ということで、慎さんは「本業以外にパートタイムで活動するNPO」であるLIPを立ち上げ、わずか9か月で日本で初となるマイクロファイナンスファンド*1を立ち上げました。
そのLIPが次の活動課題として選んだのが、国内の児童擁護施設の支援であり、Chance Makerと名付けられたネットを通じた児童施設支援プログラムを立ち上げるのですが、そこに至る過程を客観的なデータや事実と、自身の児童施設での住み込み体験を交えながら語られるのが、この本です。

この本を読むと、児童養護施設の現状と、そこにいる子どもたちの置かれている境遇に、誰しも人として胸を痛めずにはいられないと思います。
実際、私自身、この本を読み終わり、「今すぐに自分ができる何かを」と思い、Chance Makerの寄附プログラムに参加しました*2
ただ、この本の価値をそうした「情報」だけに求めることは間違っています。

私が、この本に書いてある「情報」を要約して伝えることは可能かも知れません。
でも、そのやり方では決定的に欠落してしまうのが、この本を通じて語られる慎さんの「想い」です。

 自力で逆境を乗り越えてきたと考えている人は、自身の自己肯定感とそれに基づく「努力できる才能」について、誤解していることがあるかもしれない。努力して何かを成し遂げた人は、その背景にある不断の努力を自らの精神力の賜物と考えることが多い。でも、それは正しくない。努力できる強い心は、自分自身の気質や自己決定だけでなく、自分以外のだれかとともに過ごす日々によって育まれるものだ。多くの場合は親がそれを育む。場合によっては、コミュニティだったり、学校の先生だったりする。
 しかし、児童養護施設に来る子どもの多くは、そういった大人に接する機会にめぐり合えなかった。・・・

 現状において、児童養護施設に来る子どもは、二回運命の偶然にさらされる。子どもは生まれ落ちる家庭も、行くことになる施設も選ぶことができない。まず、生まれる家庭の環境に、子どもの成長は大きく左右される。次に、どの児童養護施設に措置されるかによっても、子どものその後の成長は大きく異なってくる。たまたま、お金があってしっかりとしたケアが受けられる施設に行くか、お金がなくて大変な状況にある施設に行くか。
 社会の一つの役割は、人の運命が神の偶然に翻弄されることを防ぐことにあると思う。保険の仕組みや、協同組合などがそれだ。子どもの成長は、国や共同体の未来をつくる重大事項であり、その土台となる環境は可能な限り公平に提供されるべきではないだろうか。

 子どもたちは、生まれる家庭を選ぶことはできない。でも、どんな家庭に生まれても、だれかから愛情を受けられ、自分が世の中に必要な存在であると信じることができ、自分の将来の夢のために努力することができ(っして運がよければその夢が叶って)、将来には幸せな家庭を築くことができるような世の中は、僕たちの努力によって選ぶことができる。みなが真に平和に暮らす世の中は、すべての人にチャンスが等しくもたらされることによって近づけられるはずだ。

慎さんは、この本を書くにあたって、良いルポタージュであると共に、「職員さんや将来の子どもたちが読んでも喜んでくれる本」を目指して、何十回も原稿を書き直したそうです*3
この種の世の実態を伝えようとするものは、往々にして、「読者」を説得するために、必要以上に実際の悲惨さを強調しがちです。ただ、そのことは、時に援助される者と援助する者の枠組みを固定化してしまうことがあります。
児童養護施設の子どもたちは悲惨な境遇にある、かわいそうな子どもで、心ある大人が援助してあげなくてはいけない ― まとめてしまえば、そういうことなのかも知れませんが、児童養護施設にいる子どもたちの中に、かつての自分が持っていたものと同じぐらい、あるいは、それ以上の可能性を見出すからこそ手を差し伸べたいと思う気持ちと、憐憫の情から施しを行うこととの間には大きな溝があるように思います。
そして、その溝は手を差し伸べる側にとっては些細なものに見えても、差し伸べられる立場にいる者は敏感にそれを察します。
本書は、一貫して、子どもたちの可能性を信じています。その可能性を信じ、肯定してくれる大人たちのサポートがあれば、必ずその可能性が花開くことを信じています。そして、そのために日夜問わず身を粉にしている児童養護施設の職員の人たちの仕事の価値を信じています*4
この本の中には、そんな慎さんの「信頼」に裏付けられたメッセージが随所に込められています。そして、そのメッセージに触れている内に、読者である私自身も子どもたちと児童養護施設の可能性を心から信じることができるようになってくる気がします。*5

単なる情報ではなく、言葉に表すことのできない書き手の心に触れ、それを共感させてもらえる ― そんな経験のできる本は、決して多くはありません。
その意味で、子どもの福祉、あるいはもう少し広く貧困や格差問題に少しでも興味を持っている人には、是非読んでもらいたい本です。

さらに、もう一つ。
たった6年間で、ビジネス・パーソンとして自分の確固たる居場所を築くに留まらず、こんな素晴らしい本を世に送り出した慎さんを見ていると、我々ビジネス・パーソン*6もまた、多くの可能性を持っていることを教えられます。
もちろん、慎さんは異様なまでの「努力の才能」に恵まれた人物であり、彼と同じことは無理ですが(笑)、自分の持っている武器をうまく使えば、自分なりの形で少しでも社会を変えていけるのだ、と。

と、そんなことを思ったところに届いたのが、これもまたブログを通じて知り合い、気がつけば6年来のつきあいになる酒井穣氏の「料理のマネジメント キッチンを制する者がビジネスを制す!」でした。
そして、これがまたうまい具合にビジネススキルを他の分野に活かすノウハウが詰まった本だったのですが、長くなってきたので、こちらの紹介はまた日を改めて。

*1:マイクロファイナンスとはバングラディッシュグラミン銀行で有名になった低所得者層を対象とした小額貸付け中心の与信システムをいいます。LIPのページでわかりやすく紹介されているので、そちらも見てみて下さい。

*2:Chance Makerは、クレジットカード引き落として毎月1000円から寄附ができる、とても敷居の低い寄附プログラムですので、興味のある方は是非!

*3:Taejunomics「著者あとがき外伝

*4:そして、こうして価値を信じているからこそ、「お金集め」を信念をもってサポートできるのだと思います。お金は、本当に価値のあるものに投じられれば、元の持ち主のところにあるものの何倍ものことを成し遂げる力を持っています。「お金」それ自体に価値はないかも知れませんが、真に価値あるものに「お金」が回るようにすることは、それ自体とても価値のあることだと私は思います。

*5:かつて(もう「かつて」と言う言葉を使わなくてはいけないぐらいに瞬く間に風化してしまいましたが)、児童養護施設にランドセルを置いていく「伊達直人」が話題になりました。その時に、慎さんはランドセルをあげるよりも寄附をと呼びかけました(Taejunomics 「拝啓 全国のタイガーマスク様」)。ランドセルをやるのも、お金を寄附するのも変わらないだろう、むしろ、単にお金をあげるよりもランドセルを届けてあげる方が、よほど心が通っているじゃないか、という反論もある中で、慎さんが訴えたかったことの本質は、ここにあったのかなと今なら思います。「モノ(ランドセル)がただでもらえれば、嬉しいだろう?」といった見方こそが、子どもたちが持っている可能性や、本当に欲しているものから目をそらさせてしまう原因となることを慎さんは訴えたかったのではないでしょうか?

*6:弁護士をビジネス・パーソンと言うべきか異論もあるかも知れませんが、ビジネスに携わる職業ということでお許しを