新たな役員報酬規制への違和感

 おおむね月1度ペースで開催されている資本市場研究会の勉強会は、本当にいつも勉強になります。
 で、今回は首都大学東京の尾崎悠一准教授による「金融危機役員報酬規制」というご報告でした。

 詳しい内容は、きっと研究会の成果をまとめた本に載ると思いますので、私の印象に残った要点だけでいいますと・・・

    • 金融機関の役員報酬規制は、元々「過大なリスクテイクのインセンティブを役員に与えない」ということを主眼として主張された。
    • 具体的なコントロール手段としては、さまざまなものが言われているが、大きく分けると、報酬決定権限の所在と報酬の形態について議論がなされている。
    • 決定権限の所在としては、(1)独立取締役からなる報酬委員会の権限の強化、(2)株主総会決議(勧告決議)の要求(いわゆるSay-on-Pay)の流れがある。
    • 報酬の形態については、リスクに整合的な報酬体系をとることが主張され、(1)インセンティブ報酬の割合又は額の抑制、(2)インセンティブ部分については、stock optionではなく、長期のrestricted stock*1の利用、(3)後にリスクが顕在化した場合の報酬の一部の返還(clawback)の導入等が主張されている。
    • 近時は金融機関だけでなく、事業会社についても同様の役員報酬規制が議論されている。

 技術論的にも色々と興味深い話はあるのですが、個人的に違和感を感じたのは、規制目的と手段の整合性がとれていないような気がしたことです。

 まず、「過大なリスクテイクのインセンティブ」という問題は、預金取扱金融機関については、それなりに合理性があるような気がしています。というのも、一般的に、負債提供者が事前に予測している以上の過度のリスクテイキングがなされると債権者から自己資本提供者への利益移転が起きます。通常は、財務制限条項や期限の利益喪失条項等によって、そのような利益移転の発生を防止するわけですが、預金提供者の大半を占める個人預金者間には集合行為問題等があり有効なモニタリングや、適切なアクションがとられない可能性があり、結局、効率性が害される可能性があります。加えて、預金については一定の預金保険で守られることから、ますますこのような債権者=預金者による規律は弱まります。その意味で、預金保険による直接の効果は、(経営者ではなく)預金者による(モニタリング・コスト等をかけないという意味での)モラル・ハザードといった方がいいのかもしれません。そのため、利益移転のみを意図した、その意味において「過度な」リスクをとる判断がなされる可能性があると思われるからです。
 その意味で、目的には一応の正当性はあると思われるのですが、このような意味での「過度の」リスク・テイキングの防止は、もっと直接的に自己資本比率規制やリスク管理体制の義務づけなど預金取扱金融機関のリスク管理を規制することでも可能です。また、上記のような意味での「過度の」リスク・テイキングは、経営者と株主との間のエイジェンシー問題から生じるのではなく、預金者と株主との間で生じるエイジェンシー問題に起因するものです。
 したがって、少なくともSay-on-Payのような株主のインセンティブと経営者のインセンティブを一致させる手段は逆効果ですし、同じようにインセンティブの方向性が株主と一致している限りは、インセンティブ報酬の形態は本質的な問題ではないようにも思われます*2
 端的にいえば、株主と預金者との間のエイジェンシー問題から生じる「過度の」リスクテイキングに対しては、報酬規制というのは余り効果がないのではないかという疑問を持ったわけです。

 でも、まあ、預金取扱金融機関については、預金者の属性と預金保険の存在を前提とすると、経営者を少しリスク回避的なぐらいにふっておいた方がいいという判断もあり得ないわけではないので、やはり設計の仕方次第だろうなと思います。

 これに対して、預金取扱をしていない金融機関と事業会社については、そもそも「過度の」リスクテイキングの意味がよく分からないところがあります。というのも、例えば、今回の諸悪の根源とされている投資銀行についていえば、その資金提供者は零細な預金者ではなく、モニタリング・コストをかけようと思えば、ある程度かけることのできる債権者です。彼らは財務制限条項や期限の利益喪失条項等を用いて利益移転のみを目的としたリスク・テイキングにはある程度の歯止めをかけることができます。
 また、いわゆるプリンシパル・インベストメントについていえば、これは完全な自己資本ですから、自己資本提供者、例えばパートナー性の投資銀行であればそのパートナーが経営者を管理する(あるいは相互監視する)インセンティブを持っています。
 その意味で、利益移転のみを目的としたという意味での「過度な」リスク・テイキングは、私的なアレンジに任せていても、ある程度防止できるはずです。
 なので、ここで「過度の」というのであれば、あとはこうした直接的な当事者以外の外部的な効果を意識したものと考えざるを得ません。例えば、余りに大きな企業が潰れると回り回って預金取扱金融機関も潰れて預金保険の対象になるからとか、あるいは、もっと直接に預金保険の対象とならなくても政治的に公的資金が出されるからといった議論になります。
 確かに、こうした外部効果は考えられますが、それを理由として、当事者間の私的なアレンジメントに介入することには、大きな危険が伴います。端的にいえば、ここでは利益の移転のみを目的としたリスク・テイキングは既に私的なアレンジである程度抑止され、リスクとリターンの関係は見合っているわけですから、ハイリスクな活動を抑止することを目的とした規制は、そのままハイリターンな活動も抑止してしまうからです。
 この意味で、預金取扱金融機関や事業会社に対しても、「過度のリスク・テイキング」の防止を目的とした報酬規制を導入しようとするのは、預金取扱金融機関以上にしっくりとこないものを感じます。

 もう一つテクニカルな面で違和感があるのが、報酬の払い戻し(clawback)です。
 これは、過度のリスク・テイキングでリスクが顕在化して株価が下がると株主が害されるからということのようですが、市場が少なくとも情報効率的であれば、株価には企業の選択したリスクが既に反映されており、結果としてプロジェクトが失敗に終わって株価が下がったとしても、その下落可能性自体が予め株価に織り込まれていた以上、株主は何も「害された」わけではありません。
 にもかかわらず、裏目に出た際には報酬の払い戻しをさせるというのは、しっくりとこないところがあります*3
 ということを、尾崎先生に聞いたところ、ここでの問題意識は、元々の開示においてリスクが十分に開示されていなかった(つまり、市場価格がリスクを反映していなかった)ような事態を考えているようだとのことでした。それなら、理屈は納得できますが、それならそれで、そのようなことは不実開示責任の責任追及の枠組みで議論すべきであって、リスク情報をちゃんと開示している企業まで巻き込まれてしまう報酬規制で対応するのは、これまた目的と手段のバランスが崩れているようで違和感を感じたところです。

 とまあ、簡単にまとめるつもりが、少し丁寧に考えを追うと長くなってしまいました。
 ただ、報酬規制というそれ自体はきわめて会社法的な論点を考えるにあたって、目的の正当性や目的と手段の相当性を検証する意味で、ファイナンス理論や経済学的な考え方というのが有用だというイメージの一つの例にはなるんじゃないでしょうか。

 今日はこんなところで。
 

*1:株式報酬であるが、株式の譲渡可能となるまで一定の期間の経過や条件の成就が求められるもの

*2:もっとも、株主は長期的にみれば預金者に対して機会主義的行動をとらないというコミットメントを行うことで預金利子を低水準とするインセンティブを持っている場合でも、経営者に一回限りの裏切りを行うインセンティブが生じるような報酬体系となっていることはあり得ます。その意味では、ストック・オプションではなく、株式報酬(restricted stock)を用いるべしという主張には一定の合理性があるように思われます

*3:もちろん、ストック・オプションのようにアップサイドは無限に利益を享受できる一方、ダウンサイドリスクには限定があるような報酬形態については株主からオプション保有者への利益移転のみを意図した行動を誘発する危険もあります。もっとも、いつでも株式を売却してexitできる株主と違って経営者はその会社に特有の資源に投資をしなければならない時点でrisk averseな傾向があることから、アップサイドによった報酬形態の方が望ましいということでストック・オプションは採用されているわけであって、元々、そうしたバランスをとろうという試みがあるわけです。もちろん、企業によっては、ストック・オプションではなく、ダウンサイドも共有される株式報酬や後払い的スキームでバランスをとる方がいい場合もありますが、それも私的なアレンジメントに任せればよく、あえて規制で介入することを正当化する理由には弱いでしょう