反リフレ派の勝利?〜マクロ音痴の備忘録

最近はTwitterのつぶやきで満足してしまって、ブログの更新に至っていませんが、勝間さんの発言をきっかけとしてか、Twitter上ではリフレ派対反リフレ派の議論が(一部で)盛り上がりを見せています。
で、反リフレ派?と目される論者からは、最近の経済学の論壇では一部の強固なリフレ派をのぞいて、今までリフレ派と目されてきた人たちも改説していて、反リフレ派の勝利宣言も出ているような、出ていないような。
あいかわらずマクロ音痴の私には何がなにやら分からないわけですが、どうも対立軸が色々あるようなので、それを自分の頭で整理しがてら雑感など。

インフレとデフレ、どちらがお好き?

どうもマスメディアの街頭アンケートレベルの話としては、インフレ=物価が上がる、デフレ=物価が下がる、という構図を設定して、どちらがいいですか?とかやっているようですが、現在のようにデフレの原因が不況(総需要の減少)にある中では、本来、不況はお好きですか?と聞くべき話で、さすがにデフレが望ましいという人は余りいないよう。
もっとも、インフレといったときに、リフレ派が念頭に置くような緩やかなインフレを念頭に置くか、それともよくジンバブエが例に出されるようなハイパー・インフレを念頭に置くかによっては、「インフレは望ましくない」という主張もあり得ます。
ただ、これは結局、「(リフレ派の主張するような)「マイルドなインフレ」なるものは、そもそも政策的に達成できないという」、手段に関する議論の裏返しに過ぎません。
反リフレ派といえども、経済成長に即応した「自然な」(政策的に操作された結果ではない)「マイルドなインフレ」が望ましいということは、そんなに異論はないんではないかと、勝手に理解しています。

「マイルドなインフレ」を達成する手段はあるか?

なので、リフレ派対反リフレ派の議論というのは、結局、「マイルドなインフレ」が望ましいという到達地点については異論がないものの、そこに到達する「手段」に関する議論ということのように見えます。

なので、最初に槍玉にあげられたのが、勝間さんの「お金を増やせばいい」発言で、より具体的にいえば、日銀による国債買取りです。
そんな蛸の足を喰うようなのでデフレが何とかなるのかというのは、私にも至極真っ当な議論に見えます。
確かに、インフレにはなるかもしれませんが、名目的な貨幣価値を恣意的にコントロールすれば、貨幣への信頼が薄らいで、却って資産の国外流出が進んで、実体経済の回復を遅らせることになりそうな気がします。
この意味では、ともかく「何が何でもインフレ状態を作ればいい」という意味での(っていうか、そんなのをリフレ派とはいわないと思いますが、仮にそういう目的と手段が峻別されていない主張がなされたとすれば)「リフレ派」は成り立たないだろうなぁ、と。

ただ、私の知っている「リフレ派」の人たちは、「何が何でもインフレ状態を作ればいい」と考えているのではなく、(用語の正確性はマクロ音痴なので勘弁して欲しいのですが、私の理解しているところでは)企業や家計に将来的にも資金供給は安定的になされるという期待を与えることによって、現時点における投資・消費を刺激することで総需要を刺激することを考えているように見えます。
その意味でインフレの「質」は大事にしているんではないかと思います。

もっとも、そんな都合のいいインフレを達成する手段があるかというところで、次の対立があるように見えます。

リフレ派の人たちが強調するのは、日銀・政府による「コミットメント」です。企業・家計の期待を創出するためには、将来の行動について日銀・政府がある約束をして、それを信じてもらうしかない、と。
そこで「インタゲ」や、それをコミットメントとして維持するための手段が主張されているように見えます。

これに対して、そもそも、実際に日本の現状においてマイルドなインフレを達成する具体的な方策が存在しないのに、そんな「コミットメント」は不可能だというのが反リフレ派の主張で、そうではなく勝間メソッドを含めて手段は強引なものも含めてやり方はあって、あとはそれを長期的に一貫したポリシーの下で運用するというコミットメントを行うかどうかだけだと主張するのがリフレ派・・・と、勝手に整理しているのですが、どうなんでしょう?

もっとも、今の日本におけるデフレの原因が投資・消費における時間的選好の問題ではなく、仮にリフレ派のいうようなコミットメントが可能であったとしても、それによる総需要の刺激効果は生まれないという主張であれば、それはvalidだと思うのですが、そんな状況だとすると、そこから実体経済を強化しろと言われても難しいような・・・というのは、言い過ぎなんですかね?

反リフレ派は勝利したのか?

マクロ音痴の私は、コミットメントが有効というところまではリフレ派の方たちの主張に与するのですが、実際に今の日本の状況でそれが可能かというと、何だか非常に難しいような気がするのも正直なところです。
リフレというのは、理論的にはとてもエレガントだと思うのですが、他方、実践が非常に難しい政策ですから、それを主張する側に立証責任が課されるのは、ある程度仕方ないような気もするので、リフレ派の方たちの主張に対して反リフレ派の方が問題点を指摘するという議論構造そのものには違和感は持っていません。

ただ、その反論に全て答えきれないから「反リフレ派の勝利」というのはどうかという気もしていて、単に「ひとまず現状維持の肯定」というところに止まるのではないかと思います。
むしろ、このような状況においてはマクロ理論を背景とした金融政策は無力であることの肯定であり、ある意味「マクロ経済学の敗北」の肯定のようにも見えると言ったら言い過ぎでしょうか。

もちろん、多くの反リフレ派といわれる方々がいうように実体経済が大事というのはその通りです。ただ、実体経済の生産性の向上が大事ということと、金融政策の役割が大事というのは矛盾するものではないように思います。また、実体経済こそ、それが回復させる手段ははっきりとしません。もし、実体経済を必ず回復する手段があり、それをコミットできるのであれば、金融政策によるコミットメントなど不要だとは思いますが、そんなことこそ不可能である以上、少なくとも、未だ中銀・政府による政策的な意思決定によるコミットメントの可能性のある金融政策の観点から、どのような手段であればゆるやかなインフレを達成できるかを建設的に考えることは必要ではないかと思います。

その意味で、そうした金融政策における建設的な議論そのものが少なくなってきたことを「反リフレ派の勝利」というラベリングで語ることには、違和感を感じる今日この頃です。

最後に、とっても大事な注意

なお、私はマクロについては、大学の教養学部でちょこっとやった程度で、その時もよく分からず、以後もよく分かっていません。私の大好きなローエコの世界はもっぱらミクロ理論の世界なので、ブログやTwitterでの議論をおっているだけのマクロ音痴の弁護士の理解の範囲での整理ですので正確性は一切保証しませんので、あしからず。