アンチ・プロフェッショナルのススメ
思えばニューヨークを去るときにふぉーりん・あとにーの憂鬱を慌ただしく閉鎖してから、早くも2年数ヶ月が過ぎ去りました。
何で今更ブログを再開したのかについては、いろいろと考えるところもあるのですが、きっかけという意味でいえば、ブログを通じて知遇を得たTeajunさんから頂いた一冊の本でした。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,大橋洋一
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/03/11
- メディア: 文庫
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そうしたところ、何というか、次のような感じでガツンとやられてしまいました。
金と名誉のために自分の知識を切り売りして、専門用語の殻をまとってお行儀よく権力にすり寄ってる専門家は「知識人」とは言わねぇ。
「知識人」ってのは、自分の身一つ、世間がみんな右を向こうが左を向こうが、いつでもまっすぐ前を向いて白いものは白、黒いものは黒と、歯に衣着せず外に向かって物言う奴を言うんだよ。
と、実際には、もっと格調高く、先人の言葉も引きながら書かれているんですが、私にはべらんめぇ口調で自分に向かって名指しで言われているような気がしたわけです*2。
またいつか別エントリーで書くかも知れませんが、帰国してからの2年間は、ともかくディールに明け暮れた日々で、執筆は愚か法律論文とか雑誌記事とかを追うのも一苦労でした。おかげで、プロフェッショナルとか専門家としてのスキルは、それなりに身に着いたとは思うんですが、何かこれでいいのかなと、漠然とした違和感を感じていたりしたわけです。
ディールをうまく進めるためには、単に知識があるだけではだめで、ビジネス的な背景事情や依頼者や相手方の感情的な問題とか色々なことに目を配る必要があって、これはこれで大事なことだと思うのですが、何だか余りにも「空気を読んでしまう」(か、読もうとしてしまう)自分が、人間としてどんなもんかね、と思ったりすることがあります*3。
サイードの指摘は、まんま自分の現状に突き刺さったわけです。
別に「知識人」にならなきゃという憧れもないんですが、Taejunさんに昔のブログを書いていた頃は「サイードが考える知識人と近い所にあった」なんて言われると、ディールに邁進して自分の専門領域にたこつぼ化していく自分でいいのかという疑問も湧いたりして・・・というわけで、少しでもアンテナを広げていくためのツールとしてブログを再開してみたわけですが・・・結局、専門領域のことが多くなったりしているような気もするのが悩ましいところです。
*1:訳文だからというのもあったのでしょうが(といっても、読後の今となっては本書の訳は秀逸だと分かるのですが)、序文を読んだときに「知識人」ということを大上段に掲げて論じようということそのものに、何となく私の苦手な教義主義的な臭いを感じてしまったことも一因だったのかも知れません・・・これも読み終わった今となっては、サイードが主張しようとしていたことは全くその逆だと分かるのですが
*2:実際、そうした専門家の例として、軍事戦略家と並んで、国際弁護士とかもあげられていたりするんで・・・(p.35)
*3:Mr. ChildrenのHANABIの一節で「考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さをがきらい でも、妙に器用にたち振る舞う自分はそれ以上にきらい」というのがあるんですが、何だかそんな感じです。それに限らず、HANABIの歌詞は何だか昨年来からぐさりぐさりと来るところが多くて、はまってしまっていたりします・・・