「米国流の利益追求主義」とは何だろう?〜歴史的建造物の保護について雑感

鳩山総務相「国辱もの」 旧東京中央郵便局を視察 (3/2/09 NIKKEI NET)

鳩山邦夫総務相は2日、再開発工事が進んでいる東京駅前の旧東京中央郵便局を視察し、重要文化財の価値がある建物を「米国流の利益追求主義で壊してきたのは国の恥だ。国辱ものだ」と語った。日本郵政の全株式を保有する株主として、再開発の中止を求めていく考えを改めて示した。

規模は違いますが、私の今住んでいるマンションの向かいにある古いお屋敷が、最近、取り壊されました。蔦の絡んだ白い漆喰の塀で囲まれた昔ながらの木造建築のお屋敷はとても雰囲気があり、いつかああいう家に住んでみたいなぁなんて思ったものですが、それが介護施設を建てるために重機で取り壊されるのを見ていると、やはり切なさを覚えます。

その意味では旧東京中央郵便局の建物取り壊しは、残念なのは同じなのですが、それを「米国流の利益追求主義」というところに違和感を。

ニューヨークに行かれたことのある方はよくご存じかと思いますが、ニューヨークには新しいオフィスビルコンドミニアムもガンガン立つ一方で、SEX AND THE CITYのオープニングで出てくるChrysler Buildingや、えらい尖った三角州みたいなFlat Iron Buildingをはじめ特徴的で建築年代の比較的古い建物も数多く見られます。

この一因となっているのが、ニューヨーク市のLandmarks Preservation Lawのようです。同法は1965年に成立したそうですが、これに基づいて設置されたNew York City Landmarks Preservation Commissionによって、今年の1月までに25000以上の建造物がlandmarkとして認定されているそうです。
landmarkとして認定されると、その建物としての特徴を損なうような改修は禁止されるわけで、もしニューヨークに旧東京中央郵便局舎があれば、多分landmark認定されて取り壊しなんかもっての他だったはずです。
つまり、「米国流」なら、旧東京中央郵便局舎取り壊しは防げたはず・・・と、何かあげ足とりみたいな感じもありますが、こうした客観的に根拠のない「米国流」に対するイメージというのは、やはり警戒しなくてはいけないように思います。

磯崎さんが、少し前に日本で「部分的、即断的な」アメリカ観に警鐘をならしていましたが、私もその主張には激しく同意するところです。

アメリカという国は、(というよりも、日本を含めてどんな国もそうだと思いますが、)本当に色々な側面を持っています。合理的・科学的で、過ちを改めるに如くはなしがいきすぎて、朝令暮改っぽくなったりするのがアメリカの一面なら、歴史や伝統、それを具現化した建造物や美術品に対して深い畏敬を持って接するのもまたアメリカの一面です。
そうした多面性を捨象してアメリカが語られるときには、「悪いもの」=「外から(アメリカから)きたもの」、「いいこと」=「日本伝統のもの」というような図式の下で、「何故それが悪いのか」とか「どのようにバランスをとるべきか」といった本質的な、より複雑な問題を避けるために用いられることが多いような気がしています。

善悪二元論的な見方は、わかりやすく魅惑的ですが、余りにも粗雑すぎて現実世界をよりよい方向に導くガイドラインにはなりません。

建築物保護に関していえば、それによって得られるものと失うものを客観的にリストアップした上で、どのような手続きの下で、どのように保護すべきものとそうでないものを振り分けるのかを冷静に議論することが必要です。例えば、ニューヨークのような建築物保護法を日本で採用して、いきなり数万の保護建築物が認定されたりしたら、国土が狭いわが国では深刻な都市機能への障害をもたらすかも知れません*1。例えば、保護すべき建物とそうでない建物の区別を国有(あるいはそれに準じたもの)かそうでないかという基準で進めるのであれば、国有資産の売却システム自体に見直しが必要になるでしょう*2

何れにしても、「米国流」とか「アメリカ的」とか、それの反対概念としての、何ら内容画定を伴わない「日本流」「日本的」「日本人古来の」etc...という物言いが、もう少し少なくなるといいなと思う、今日この頃でした。

*1:あるいは、そうした土地の希少性に深く結びつけられた経済システムに大きな狂いをもたらすかも知れません

*2:歴史的建造物は売却してはならないという立法の結果、国がたくさんの「売れない」不動産を抱えることになったりとか