反リフレ派の勝利?〜マクロ音痴の備忘録

最近はTwitterのつぶやきで満足してしまって、ブログの更新に至っていませんが、勝間さんの発言をきっかけとしてか、Twitter上ではリフレ派対反リフレ派の議論が(一部で)盛り上がりを見せています。
で、反リフレ派?と目される論者からは、最近の経済学の論壇では一部の強固なリフレ派をのぞいて、今までリフレ派と目されてきた人たちも改説していて、反リフレ派の勝利宣言も出ているような、出ていないような。
あいかわらずマクロ音痴の私には何がなにやら分からないわけですが、どうも対立軸が色々あるようなので、それを自分の頭で整理しがてら雑感など。

インフレとデフレ、どちらがお好き?

どうもマスメディアの街頭アンケートレベルの話としては、インフレ=物価が上がる、デフレ=物価が下がる、という構図を設定して、どちらがいいですか?とかやっているようですが、現在のようにデフレの原因が不況(総需要の減少)にある中では、本来、不況はお好きですか?と聞くべき話で、さすがにデフレが望ましいという人は余りいないよう。
もっとも、インフレといったときに、リフレ派が念頭に置くような緩やかなインフレを念頭に置くか、それともよくジンバブエが例に出されるようなハイパー・インフレを念頭に置くかによっては、「インフレは望ましくない」という主張もあり得ます。
ただ、これは結局、「(リフレ派の主張するような)「マイルドなインフレ」なるものは、そもそも政策的に達成できないという」、手段に関する議論の裏返しに過ぎません。
反リフレ派といえども、経済成長に即応した「自然な」(政策的に操作された結果ではない)「マイルドなインフレ」が望ましいということは、そんなに異論はないんではないかと、勝手に理解しています。

「マイルドなインフレ」を達成する手段はあるか?

なので、リフレ派対反リフレ派の議論というのは、結局、「マイルドなインフレ」が望ましいという到達地点については異論がないものの、そこに到達する「手段」に関する議論ということのように見えます。

なので、最初に槍玉にあげられたのが、勝間さんの「お金を増やせばいい」発言で、より具体的にいえば、日銀による国債買取りです。
そんな蛸の足を喰うようなのでデフレが何とかなるのかというのは、私にも至極真っ当な議論に見えます。
確かに、インフレにはなるかもしれませんが、名目的な貨幣価値を恣意的にコントロールすれば、貨幣への信頼が薄らいで、却って資産の国外流出が進んで、実体経済の回復を遅らせることになりそうな気がします。
この意味では、ともかく「何が何でもインフレ状態を作ればいい」という意味での(っていうか、そんなのをリフレ派とはいわないと思いますが、仮にそういう目的と手段が峻別されていない主張がなされたとすれば)「リフレ派」は成り立たないだろうなぁ、と。

ただ、私の知っている「リフレ派」の人たちは、「何が何でもインフレ状態を作ればいい」と考えているのではなく、(用語の正確性はマクロ音痴なので勘弁して欲しいのですが、私の理解しているところでは)企業や家計に将来的にも資金供給は安定的になされるという期待を与えることによって、現時点における投資・消費を刺激することで総需要を刺激することを考えているように見えます。
その意味でインフレの「質」は大事にしているんではないかと思います。

もっとも、そんな都合のいいインフレを達成する手段があるかというところで、次の対立があるように見えます。

リフレ派の人たちが強調するのは、日銀・政府による「コミットメント」です。企業・家計の期待を創出するためには、将来の行動について日銀・政府がある約束をして、それを信じてもらうしかない、と。
そこで「インタゲ」や、それをコミットメントとして維持するための手段が主張されているように見えます。

これに対して、そもそも、実際に日本の現状においてマイルドなインフレを達成する具体的な方策が存在しないのに、そんな「コミットメント」は不可能だというのが反リフレ派の主張で、そうではなく勝間メソッドを含めて手段は強引なものも含めてやり方はあって、あとはそれを長期的に一貫したポリシーの下で運用するというコミットメントを行うかどうかだけだと主張するのがリフレ派・・・と、勝手に整理しているのですが、どうなんでしょう?

もっとも、今の日本におけるデフレの原因が投資・消費における時間的選好の問題ではなく、仮にリフレ派のいうようなコミットメントが可能であったとしても、それによる総需要の刺激効果は生まれないという主張であれば、それはvalidだと思うのですが、そんな状況だとすると、そこから実体経済を強化しろと言われても難しいような・・・というのは、言い過ぎなんですかね?

反リフレ派は勝利したのか?

マクロ音痴の私は、コミットメントが有効というところまではリフレ派の方たちの主張に与するのですが、実際に今の日本の状況でそれが可能かというと、何だか非常に難しいような気がするのも正直なところです。
リフレというのは、理論的にはとてもエレガントだと思うのですが、他方、実践が非常に難しい政策ですから、それを主張する側に立証責任が課されるのは、ある程度仕方ないような気もするので、リフレ派の方たちの主張に対して反リフレ派の方が問題点を指摘するという議論構造そのものには違和感は持っていません。

ただ、その反論に全て答えきれないから「反リフレ派の勝利」というのはどうかという気もしていて、単に「ひとまず現状維持の肯定」というところに止まるのではないかと思います。
むしろ、このような状況においてはマクロ理論を背景とした金融政策は無力であることの肯定であり、ある意味「マクロ経済学の敗北」の肯定のようにも見えると言ったら言い過ぎでしょうか。

もちろん、多くの反リフレ派といわれる方々がいうように実体経済が大事というのはその通りです。ただ、実体経済の生産性の向上が大事ということと、金融政策の役割が大事というのは矛盾するものではないように思います。また、実体経済こそ、それが回復させる手段ははっきりとしません。もし、実体経済を必ず回復する手段があり、それをコミットできるのであれば、金融政策によるコミットメントなど不要だとは思いますが、そんなことこそ不可能である以上、少なくとも、未だ中銀・政府による政策的な意思決定によるコミットメントの可能性のある金融政策の観点から、どのような手段であればゆるやかなインフレを達成できるかを建設的に考えることは必要ではないかと思います。

その意味で、そうした金融政策における建設的な議論そのものが少なくなってきたことを「反リフレ派の勝利」というラベリングで語ることには、違和感を感じる今日この頃です。

最後に、とっても大事な注意

なお、私はマクロについては、大学の教養学部でちょこっとやった程度で、その時もよく分からず、以後もよく分かっていません。私の大好きなローエコの世界はもっぱらミクロ理論の世界なので、ブログやTwitterでの議論をおっているだけのマクロ音痴の弁護士の理解の範囲での整理ですので正確性は一切保証しませんので、あしからず。

週刊ダイヤモンド(8月29日号)の謎を解く

週刊 ダイヤモンド 2009年 8/29号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2009年 8/29号 [雑誌]

「厳選!有名企業も便りにする「らつ腕弁護士」〜企業法務・商務・渉外分野の若手・中堅有望弁護士一覧」というところで、名前をあげてもらっています。事前に取材とか告知とか一切なかったので、全然知らなくて、事務所で同僚に「売り込んでますねぇ」と言われて、「へ?」という返事したら、「ダイヤモンド見ましたよ」と言われて、あわてて本屋に買いに行きました(汗)

何で選ばれたんだろうと思ったら、どうもその記事のとなりの写真付き囲み記事に出ている西田章君のご推薦があったようです。
西田君は、若手の企業法務系弁護士の間では有名な弁護士による弁護士のヘッドハンターというか、若手弁護士のための就職・転職支援で有名な方です。

弁護士の就職と転職―弁護士ヘッドハンターが語る25の経験則

弁護士の就職と転職―弁護士ヘッドハンターが語る25の経験則

西田君とは、東京大学法学政治学研究科の大学院の同期で、彼は倒産法、私は会社法でしたが、研究よりは飲んでいる方が好きというところは何となく共通していたり、学部時代に司法試験合格していて、大学院にきたものの、やはり学者は向かないということで、やはり司法修習も同期だったり、私の相方が同じ高校の同級生とか、何か、色々とつながりがあったり・・・

・・・と書くと、何だかコネで紹介されたみたいですが、西田君の名誉のために言っておくと、おつきあいがあるからという程度で依怙贔屓するような小さい人間ではない・・・はず。

ここは、素直に喜んでおきます^^

まあ、それはおいておいて、今週のダイヤモンドの「弁護士大激変!」は確かに面白い特集なので、法曹関係者や、これから法律界を目指す人は必読かも知れません。
この記事を読んで、法律界が激動の時代であると聞いて、「だからチャンスがある!」と思うのか、それとも、「資格とってもこれか」と思うか、その辺り興味深いところです。

そういうわけで、今日の写真は幸せのダブルレインボーを。

8月も半ば・・・

夏色


気がついたら2か月放ったらかしですね。すみません<(_ _)>
7月は何をしていたかというと・・・新人弁護士の採用活動をしていました。
会う人、会う人、皆優秀で志が高い人ばかりで、話しているとこちらも刺激を受けました。
私の頃は修習に入ってから本当に1年ぐらいかけてゆっくりと就職先を考えればよかったんですが、今の人たちはそれを考えると、まだ合格も決まっていない時期に進路を決めないといけないわけで、それを考えるとかわいそうな気もします。
逆に、そういう厳しい選択を経て、一緒に働くことを選んでもらった人たちに対しては、その選択が間違いでなかったと思ってもらえるために事務所がよりよい働き場所となるよう一層頑張らないといけないと思ったりする夏でした。

他に、近況報告としては、ビジネス法務9月号のトレンドアイで「IFRS導入がもたらす企業法務の地殻変動」という短いコラムを書かせてもらいました。
色々考え出すとIFRS導入について法的に考えなくてはいけないことはたくさんあるんですよね。

あとは、昨年に引き続きIBA(International Bar Association)のAnnual MeetingのCorporate Law SectionのWorking Sessionのパネルを務めることになりました。昨年は敵対的買収の話でしたが、今年は"Who would want to be a director?"(誰が取締役になりたがるであろうか?)という挑戦的なタイトルのパネル・ディスカッションです。
日本でもライブドア事件で非常勤取締役や外部専門家の監査役が巨額の個人賠償責任を負担する事例が出てきていますが、取締役のなり手を確保しつつ、適切な責任を負担させるバランスをどうすべきかについて、国際的な比較を行いながら議論するセッションです。
まだパネル・メンバー全員は聞いていないのですが、これまた昨年に引き続いてデラウェア州最高裁のSteel首席判事もご一緒ということで楽しみにしています。
昨年は何せ地球の裏側(アルゼンチン)でしたが、今年はマドリッドということで日本からも(多少)足を運びやすいところに。
総会自体は10/5-10/9ですが、私の出るセッションは10/9(金)の午前中ですので、皆様お誘い合わせの上・・・ってわけにもいかないと思いますが、機会があえば宜しくお願いします。

8月も残り少なくなりましたが、私は残りはかなり溜まっている執筆に打ち込む予定です。
・・・といいつつ、磯崎さんの真似をして、ふらふらっとtwitterを始めてみました。
こちらも、我がことながらどれだけ続くのかは甚だ疑問ですが、新しいもの好きなのでとりあえずやってみて、考えようかなというところです。

独禁法とM&A実務の交錯

というテーマで1か月ぐらい前にセミナーをやったんですが、その時のレジュメを、このブログの読者の皆様にだけ公開します(って、口頭での補足がないとイマイチ内容がつかみにくいかもしれなんで、別にそんなに恩着せがましくいうようなもんでもないんですが・・・)

「M&Aにおける企業結合規制対応の最新動向」(pdf136MB)

もうご存じの方も多いと思いますが、このセミナーをやった後、6月3日には独禁法改正案が成立しています。
直接M&Aに関連するものとしては、(1)株式取得についての事前届出制の導入、(2)株式取得に関する閾値の変更(10/25/50→20/50)、(3)外国会社に対する届出基準適用、(4)届出基準の変更といったところがメインになります。

(3)辺りは、意外とクロスボーダーM&Aには影響があったりするところですし、(2)については、これに伴って企業結合ガイドラインでの書きぶりがどうなるのかという辺りが気になるところですが、それ自体が従前の実務に根本的な変更をもたらすというものでもなさそうです。
むしろ、気になるのは、課徴金制度の拡大とか法定刑の引き上げに見る執行面での強化の方向性と、最近の公取委の非カルテル型事案に対する姿勢だったりします。

もちろん、独禁法の適切な執行は市場経済の基本というのはその通りなのですが、一方で、独禁法が守ろうとする価格メカニズムは、市場のプレイヤーの利己的な行動の積み重ねによるものであり、それに不必要なバイアスを与える介入は避けるべきというのも、「経済」法たる独禁法と、その執行機関である公取委が意識すべき原則のはずです。
自分たちこそが「あるべき市場」や「本来の市場」を知っているという幻想にとりつかれた瞬間から、独禁法は市場の保護者から、市場の敵になる可能性を秘めています。
その辺りの危ういバランスの上に保たれるべき競争法の執行がどこに向かっていくのか、留学から戻って以来個人的には結構気になっているところです。

ソフトローはおとなの味?

昨日、東証の報告書の話を書いたら、噂になっていた金融庁の金融資本市場国際化SG((正式名称は「我が国金融・資本市場の国際化に関するスタディグループ」です)の報告書案も昨日公表になってました。

内容的には東証の報告書に重なるところや、新聞などでもとりあげられていた社外取締役の話とかもあって、盛り沢山というか、最近の企業法務関係で話題になっていることを鳥瞰するにはお得な内容になっています。
もっとも、こちらは法定開示の強化など立法的な対応も視野に入れたものなので、純粋なソフトローとはいえないかも知れません。ただ、その方向性として開示の充実を基本線にしている辺りの発想はソフトロー的な考え方と親近感を持っているような気がします。

ところで、ソフトローと一口に言っても、実は論者によって色々とイメージが違うところがあります。
しばしば、その形式や内容の一義性が話題にあげられることが多いんですが、個人的にはソフトローのキーワードは「インセンティブ」にあるんではないかと思っています。

つまり、「ハードロー」というのは、お上がこうしなさいと命じていることそのものが権威の根拠なんですが、「ソフトロー」というのは多かれ少なかれ、当事者たちが「その方がお得だよね」という利己的な判断により守られるところが本質ではないかと思っています。

これだけだと、何か抽象的すぎるかも知れませんが、例えば、「日本企業は米国に比して独立取締役が少ない」という事実に直面したとき、「独立取締役を一定割合以上にすることを義務づけよう」という発想は、極めてハードロー的な発想だと思うわけです。

じゃあ、ソフトロー的発想は、どういうことか、というと、何よりもまず最初に「なぜ、日本企業は独立取締役の導入に消極的だったのか?」という疑問に向き合うことです。
そんなの当たり前じゃんと、思うかも知れませんが、この時大事なことは、その状況に現にあるプレイヤー(この場合は日本企業)が合理的な判断力がある主体として取り扱うことです。
もっと砕けていえば、「子供扱い」しないということです。
これまた、当たり前じゃんと、思うかも知れませんが、意外とルールをつくろうとする人たちの発想はそうなっていません。
ついつい「子供扱い」して、「いいガバナンス制度を決めてあげない」と、日本企業の経営者はどうしていいか分からないだろうということを暗黙の前提として、えらい人たちだけで「いいガバナンスとは何か」という議論を一生懸命やったりしがちです。
・・・でも、そんなえらい人たちだけで決める「いいガバナンス」って、どうなんでしょうねぇ?
「いいガバナンス」に一番利害関係を持っているのは、当の企業に自分の人生の大半のリソースを費やしている経営者であり、従業員であり、その人たちに見つけられない「いいガバナンス」を与えてあげるというのは、何か私にはなじめない発想です。

じゃあ、「子供扱い」しないって、どういうことということになりますが、もっと具体的にいえば、次の前提を受け入れているかどうかということではないかと思います。

もし、本当に独立取締役が企業にとって望ましいものであるとすれば、ルールなんかなくたって、企業は独立取締役を入れるはず

にもかかわらず、日本企業が独立取締役の導入に消極的であるとすれば、それは(a)独立取締役が企業にとって望ましくないから、か、(b)独立取締役を入れたくても入れられない他の要因が存在するか、のどちらかということのはず。
何れにせよ、単純に「独立取締役を一定割合以上にすることを義務づけよう」という発想には、すぐには*1結びつかないはずです。

プレイヤーを大人扱いして、その合理的なインセンティブを、うまく活かしてあげる、あるいは、その阻害となっている制度的要因を取り払ってあげて、国家権力のお世話にならなくても、プレイヤーの行動がある予定された枠内に向かっていく・・・これを設計するという発想がソフトローでは大事なんではないかと思います。
そうでないと、ソフトローでも、すぐにサンクションはどうだとか、どうやって強制するのか、と、いった、全然ソフトでない議論になっていっちゃうわけです。

ただ、こういうプレイヤーを子供扱いしない発想が、伝統的な日本の立法府や法律家のマインドセットと整合的なのかというのは、何かよく分からないところです。
米国とは別の発展を遂げてきていますが、少なくとも日本の企業社会は、私はそれなりに「おとなの世界」だと思っていますが、そもそも事実認識として日本の企業はまだまだ子供ばかりだと思う人も多いのかも知れません。ただ、ソフトローが本当に期待されている役割を果たすためには、ルールを定める者と定められる者の二極構造ではなく、お互いの合理性や判断力を信頼する「おとなの世界」を前提としていかなくてはいけないんじゃないかなと思うんですが・・・果たして、そういう世界への心の準備はどうなんでしょうね?*2

*1:「すぐには」と留保を付けるのは、(a)か(b)をつきつめる中で、やはり強制的に義務づけを行う意味がある可能性もあるからです。例えば、囚人のジレンマに陥っているような場合には、強制的な制度設計によって現在の均衡状態を崩してあげることに意味があることもあります。もっとも、ガバナンスについて、そうしたシチュエーションがあるかは、個人的には懐疑的です。ガバナンスについては、ガバナンス体制についての情報開示制度の合理化によって、投資家がガバナンスと企業のパフォーマンスとの間の相関についてある程度分析できるような下地をつくってあげれば、自ずから投資家受けのいい制度に向かっていくんではないかと思っていたりします。

*2:余談ですが、ちょっと前に東北大学の森田先生の経営判断原則の論文がブログ界で問題となりましたが、私は、あの論文は、「経営判断原則も日本に入ったと言っているけど、中身を見てみると、企業人の判断力を信頼するような米国的なマインドセットに移行しているわけではなくて、単に立証とか、裁量権をどこまでみとめてあげるかという企業人に対する法律家の判断力優位構造は崩れてないんじゃないの?」という、シニカルな現状を明らかにしたものかなと思ったりして、読んでいて全く違和感なく、というか、最後の提言っぽい部分はおまけみたいなもんかなとか思ってたりしてました

ソフトローの発展と法曹教育?

思った程注目を浴びていないような気もする、東証の上場制度整備懇談会が公表した「安心して投資できる市場環境の整備について」ですが、今後の上場会社の資金調達に与える影響は相当に大きいものがあり、この報告書の内容や、それを元に今後整備されて行くであろうルールを正確に理解して、適切に運用することは実務法曹としては必須になっていくんではないかと思います。

その辺りの解説を期待されている向きもあるかも知れませんが、今日の思いつきはそこではなく、こういう法令以外のルールの要因、ここではソフトローと大雑把に言ってしまいますが、そういうソフトロー的な要素が重要になっていくと、法曹教育も難しいだろうなという辺りです。

まあ、会社法の世界については、昔も証券業協会の第三者割当増資ルールで定められた10%ディスカウントルール辺りは、裁判例で引用されたこともあって、有利発行性の一つの基準として司法試験の答案でも書いたりしたものですが、その頃からするとソフトローの存在感は比べものにならないぐらい大きくなりつつあります。

典型的なのは買収防衛策やMBOの分野における企業価値研究会の報告書なんかですが、その位置付けは何なのかということについて必ずしも明確でないとしても、現に裁判所の判断においても正面から参照されたりする時代になってきているわけです*1

昨年の成蹊大学LSで担当させてもらった授業なんかは、M&A法ということで、会社法に限らず税法とか独禁法も触るぐらいだったので、そうしたソフトローも時間をある程度使って説明することもできたんですが、ただでさえ教える内容が多い正規の会社法の授業の中に、こうしたソフトローを組み込んでいくのは大変な気もします。

また、問題なのは「ソフト」なだけに、ハードローのように要件・効果が明確でないこと*2や、そもそもその内容自体が実務の現場における双方向的なフィードバックで形成されていく面があるので*3、何か「知識の伝達」という形になじみにくいところがあるような気もします。

こうしたソフトローが強くなっていく世界で求められる法曹の能力というのは、与えられた知識を組み合わせるだけでなく、ソフトローの背後にある制度趣旨や合理性を理解した上で、それを議論とか対話というコミュニケーションを使って双方向的にルールとかスタンダード自体をファイン・チューニングしていく能力ではないかという気がします・・・と、ここまで考えて、これって、まさにコモン・ロー*4的なセンスでだなということで、世界的にソフトロー的な枠組みが拡大していく中で英米法律家のプレゼンスが大きくなっていくのは、ある意味必然なのかなとか脱線的に思ってしまいました。

最近、磯崎さんがIFRSについて興味深い考察をされていますが、私自身はIFRSについては語れるほどの材料を持っていないものの*5、そこでの問題意識である(と、私が勝手に考えている)「自分で考えなさいとか、投資家との適切なコミュニケーションツールとして会計を用いなさいという発想が、日本の企業に馴染むの?そもそも、日本の経営者は(よしあしではなく)そうしたスキルを蓄積してきていないんではないの?」というところは、法律の世界におけるソフトロー化と法曹教育のあり方と通ずるものがあるような気がしています。

もちろん、私がおつきあいをさせて頂いているロースクールの先生方の多くは、単なる知識の伝授ではなく、考える力を要請することを考えていらっしゃるわけで、そうした先生方からすれば、「また、余計な心配を」と思われるのかも知れませんが、何となく思いついてしまったので*6

一応、最後に補足しておくと、そうは言っても私自身はソフトロー化とか、ルールのインタラクティブ化とか、コミュニケーションツール化ということについては、とっても肯定的です。
ただ、肯定的なだけに、それがうまく根付くためには、これまたえらい人(東証?)が右向け右といったら済む問題ではなく、そもそも、制度を支えている一人一人の意識の方向というところまで遡らないといけないんじゃないのかなぁ、と、いう問題意識を持っているということで。

*1:記憶に新しいところでは、レックスHDの取得価格決定事件における田原最高裁判所裁判官の補足意見がありますよね

*2:そういう意味では、要件事実論を基礎とした伝統的な実務法曹教育とソフトローの相性の問題も考えてもいいのかも知れませんね

*3:買収防衛やMBOも指針を下に、一定の実務が積み重ねられて、その実務を下にしてまた指針が解釈されていく面がありますよね

*4:英米法に特徴的な個別事案における過去の判例を集積して目の前の事案を解決していく仕組み・・・と勝手にまとめてみる

*5:しかし、実はIFRSについて、ちょっとした原稿を書かなくてはいけなかったりします・・・(- -;

*6:そして、忙しいときこそ、何かこうしたちょっとした思いつきをブログに書くという誘惑に誘われるわけです

近況−(かろうじて)生存報告

気がついたら、2か月ぐらい放りっぱなしにしてしまいましたが、一応、生きています。

手短に近況報告をいたしますと、この前のエントリー以降、いい加減締切を延ばしのばしにしているM&A法の教科書(共著)執筆を進めていたのですが、そのうち、今年初め少し落ち着いていた通常業務がありがたいことに盛り上がり始めてきて、更新をつい怠ってしまいました。

週末にでもと思ったんですが、執筆が気になっていたのと、本当はパートナーのおもちゃとして我が家にやってきたはずのデジタル一眼(オリンパスE-30という機種です)に、何故かはまってしまっていました。
このブログの左に写真がちょこちょこロールしているのは、そういうわけです。

まだ、しばらくはばたばたしそうなんですが、タイミングが遅くなってしまったところもあるのですが、頂いた御本の紹介など(遅ればせながら)少しさせて下さい。

会社法 (LEGAL QUEST)

会社法 (LEGAL QUEST)

まずは、いつもお世話になっている会社法の先生方の共著になるリーガル・クエス会社法です。
会社法には、江頭先生や神田先生の基本書をはじめ、いい基本書がたくさんあります。
こうした基本書は、「知識の泉」であり、「求めよ、さらば与えられん」という世界で、既に会社法世界の住人になった人間にとっては、飽きることのないバイブルなんですが、これから会社法の世界を覗いてみようかという人にとっては、その荘厳さ故に近寄りがたさもあります。
この本の著者の先生方が目指したのは、何というか歩み寄る会社法とでもいうんでしょうか、会社法の世界は、こんなにも面白いんだよということを、これから会社法に入る人たちに伝えてくれる本です。
この本を読ませて頂いて、個人的にはClark教授のCorporate Lawを思い出しました。
もちろん、私のような実務家にとっても、特にコラムは読み応えがありますし、実は各所にちりばめられた図表は、このまま英語に訳して海外クライアント向けの説明に使ってしまいたいと思うぐらいに、見事に整理されています。
ともかく、会社法の世界の入り口をちょっと覗いてみたい人から、どっぷり浸かっている人まで、誰にでもお薦めさせて頂きます。

もう一つは、Taejunさんの初著書。

中学生向けにファイナンス理論を伝えようというTaejunさんならではの意欲的な着想ですが、さすがにいつもブログで披露している筆力と知見の広さが存分に活かされた内容です。
個々の記述については、今度お会いしたときにでも議論させて欲しいところがありますが、中学生向けだからといって通り一遍の解説をするのではなく、そうした議論欲をかき立ててくれるような深遠な問題提起もなされているところは見逃せません。
「15歳から」なので、上限は設けられていませんので、ファイナンス理論に馴染みのある人もそうでない人も、これまたどなたにでも自信をもってお薦めさせて頂きます。

こういう本を拝読すると、目の前の仕事を処理するだけでなく、執筆とかもきちんとやらなくちゃなぁ、という気になります。

だからというわけでもないのですが、来週は「企業結合と独禁規制」という事務所主催のセミナーで、M&Aと企業結合審査の絡みをお話しさせて頂くことになっています。
一応、余り文献等では書かれていない、M&Aの交渉・デューデリジェンス過程での情報交換の問題(gun jumping)や、最近の企業結合規制の事前相談プロセスの実務とかについてお話しさせて頂く予定です。
また、当事務所の川合弁護士からは国際的な企業結合規制の動向や、NERAの石垣さんからは企業結合規制における経済分析のお話しも予定されています。

相変わらずばたばたしていて、次回の更新がいつになるかは分かりませんが、とりあえず生存報告ということで。